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  VOICE   No.2  

平成13年12月

学級崩壊・学力低下に思う


 生徒から、学校の授業の様子を聞くと、怒るのを通り越して、あきれてしまうこともしばしばです…。(以下の例は、「一部の先生」であり、決してすべての先生がそうであるわけではありません。念のため)

ある中学校では、数学の「証明」の単元を、合同条件(1辺とその両端の角が…、などというヤツです)を教えてから、数枚のプリントを用いて「穴埋め」形式でのみ演習をして、それでその単元は終了とのことです。(もちろん入試では、すべてを「書く」問題も、当然に出題されるのですが…)私の担当教科である社会科では、歴史の「戦後史」を、『ここは、公民の後半で勉強するから、省略します』とカットして、いざ公民のその部分になると、『ここは、歴史で勉強したから、省略します』などと言って、結局はまったく指導をしていないという学校や、公民の教科書を、半分程度しか消化できずに、そのまま生徒を受験へ送り出し、学校で習っていない個所から、大量に問題が出題されたということもありました。(これなどは、「犯罪」に等しいのではないでしょうか?)

かなり以前の話になりますが、S中学校に、定年間近の社会科の先生がいました。この先生の授業は、黒板に何も書かずに、座ったまま教科書を読んで、ワークの答え合わせをして終了というもので、おまけに、定期試験に出題されるのは、丸ごとそのワークの問題!生徒は、一夜漬けでワークの答えを覚えさえすれば高得点を取れるので、当然のごとく力をいれて勉強をしません。S中学校の生徒は、他校にくらべて社会科の実力が低く、このままではいけないと、当時勤務していた学習塾の同僚と連名で、S中学校の校長先生に抗議をしました。(校長先生には感謝され、その後、授業も改まりましたが、生徒たちには「先生、よけいなことしないでよ」と文句を言われました!)

その他、最近はさすがに減ったものの、試験の使いまわし、教材のプリントをコピーしてそのまま試験に出題したり…。こんな例は、実はゴロゴロしているのです…。2002年から「新指導要領」にもとづいた、学習内容がさらに3割ほど減らされた指導内容へと移行します。文部科学省の方針では、新しい教科書の内容は、あくまで「最低限」の指導内容であり、それ以上の内容を教えることは構わないとしていますが、昔に比べて、はるかに学習内容が減っている今日ですら、前述のように「教科書の内容すら、教えきれない」先生が存在するわけですから、さらなる学力低下を招くのは、火を見るより明らかと言えるでしょう。

さて、私は生徒から先ほどのような「いいかげんな授業」の話を聞くと、決まって、「そういうのってさ、普通の会社じゃ絶対に許されないコトだよな?」「普通の会社員なら、給料を減らされたり、最悪はクビだよな?」などと話して、あんまりひどければ、「先生じゃなくって、給料泥棒っ!って呼んでやれっ!」と思わず言ってしまいます。たまに、本当にそれを言って、「先生、学校の先生が、すごく怒っていたよ!」と、ニヤニヤしながら報告する生徒もいます。(苦笑)




人のせいにするのが一番楽だから


 たしかに、今の時代は、学校の先生も大変だとは思います。中学校の先生は、今までは、ごく少数であった、「計算」や「読解力」がまったく身に付いていない生徒(具体的には、小3・小4程度の学力で止まっている生徒)を、多数抱えることになっているわけですから。

その元をたどると、当然ながら、小学校時点での、学習のつまづきに帰着します。昔なら…、「たし算・ひき算・かけ算・わり算」のできない生徒は、親も学校の先生も、何としてでも「できる」ようにしたものですが…。(くりかえしになりますが、今はそれが身に付いていない中学生が多いのです)

授業中に立って歩く生徒、先生の話をまったく聞かない生徒、集中力が継続しない生徒、勉強をすることに意義を見出せない生徒の増加など、小学校時点での学級崩壊・学力低下の原因は何でしょう?(学校の先生も気の毒です。注意をしたり叱ったりすれば、親からすぐにクレームが来るわけですから。体罰は「言語道断」だそうで、私なら三日と持ちそうにありません!)私は、その原因の大半は、「家庭でのしつけ」にある、そう断言します。

信じられないことに、最近では、「学校で、しつけもするべきだ」と言う親が多いと聞きます…。その言葉の裏返しは、子育てを放棄しているものとしか思えません。もちろん、先ほどの、一部の学校の先生の「いいかげんな授業」も、許されるものではありませんが、公教育の現場のみならず、「権利」と「自由」のみを主張し、周囲と「調和」を保つことや「義務」を果たすことは二の次…。そんな無責任な大人と子供が、年々確実に増えています。『自分は責任を取りたくない。人のせいにするのが一番楽だ』日本全国で、そんな声が、あちこちから聞こえてくるような気がしてなりません。

『世界最大の犯罪大国である、アメリカ合衆国の病巣は、「自由」と「平等」で「自由」を、つまり「個人の権利」を優先させたところにある』と言った、(名前は忘れましたが)日本の経済学者がいましたが、これからの日本も、その方向へと進むのでしょうか…。




大人がしっかりしなくては


子供たちがおかしい。そう言われることが多い昨今ですが、いつの時代も、子供の社会は大人のそれの「縮図」です。人間同士の心の交流が希薄な、「心」が不在なこんな時代であるからこそ、「われわれ大人がしっかり生きなくては…」と思います。

例えば、「いじめ」の問題にしても、「なぜ、子供たちは、とても陰湿ないじめをするのか?」と思えますが、それもやはり、われわれ大人の社会の「縮図」と言えるのではないでしょうか?大人の社会では、「便乗リストラ」という名の、理不尽な究極の「いじめ」がまかり通っているわけですから…。子供たちに偉そうなことを言う前に、まずは、われわれ大人自身が襟を正して生きなくては…。簡単そうでいて、とても難しい命題です。




講師雑感2 〜K君の話〜


 K君は、いつも明るく元気で、学校でも塾でも人気者の生徒でした。授業中に、「暑〜っ、暑〜っ。先生、脱いでいい?」と聞くので、「おぅ、勝手に脱げ!」と言うと、上着やシャツのみならず、ズボンを下ろしてパンツ一枚の姿になってしまい、「おいK!ついでにそれも脱げ!」「そいつぁ、できねぇなぁ!」と、クラス中、大笑いになったことがありました。

その彼と、数年ぶりにある場所で会いました。場所は…、パチンコ屋さんです。(いつもパチンコをしているわけではありませんよ!)「おぉK!久しぶりだね。今、何やってんの?」「○○ホテルで、ホテルマンをやっています」「ねぇねぇ、それって、TVドラマを見て、なろうと思ったべ?」「アハハ、正解!」あれから数年がたちました。明るく元気なK君ですから、誰からも愛される、TVドラマの主人公のような、素晴らしいホテルマンになっていることと思います。

さて、(パチンコを)打つのをやめて、彼としばらく話し込んだのですが、その時に、私が知らなかった、彼の悲しい話を聞きました。『高校生になった彼は、お父さんの運転するバイクの後ろに乗って、二人で走りに出かけました。ところが…、旅先でお父さんは、バイクを転倒させてしまいました…。悲しいことにお父さんは亡くなり、彼も大怪我をしてしまいました…』話を聞いて、涙があふれました。肉親の死は、身を切られるように辛く悲しいものです。私自身、十数年来バイクに乗っているのですが、知人・友人の死を何度か経験しました。学生時代の友人がバイクの事故で亡くなったときは、本当にショックでした。目の前で、最愛のお父さんを失った彼の辛さ・悲しさは、想像を絶するものであったでしょう…。

その後、彼は、長い入院生活の後も、精神的に不安定な日々が続いたそうです。悲しみを乗り越えるのは、さぞかし困難なことだったと思いました。K君の不幸を知らなかったこと、何もしてあげられなかったことを詫び、「K、お前は立派だよ!」私はそう言いました…。残念ながら、彼の勤め先のホテルの名前を忘れてしまい、それ以来、彼とは会っていません。どなたか、釧路市内のホテルに勤める、川島君をご存知の方はいらっしゃいませんか?彼の働く姿を、ぜひ一度見たいものです。