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  VOICE   No.6  

平成14年4月

新しい教科書に驚きました


 いよいよ、この4月から「新しい学習」がスタートしました。ご父母のみなさまもご存知のように、学習内容が更に3割ほど減らされ、土曜日は完全に休み(週5日制)となり、通知表の評価が「相対評価」から「絶対評価」に変わります。

先日、新しい中学の社会科の教科書を見ました。一講師として一言で感想をいうならば、その内容のあまりの薄さに、「絶句」です…。(「こんな薄っぺらな内容だけを勉強したとしたら、これからの中学生は、高校受験どころか、今の中学受験レベルの問題にすら対応できない…」そう強く思いました)文部科学省は、新しい指導要領はあくまで「最低基準」であり、教科書のレベルを超えて指導をすることもできる。としていますが、このニュースレターでも繰り返し述べてきたように、公教育では、「今までの学習内容ですら、満足に教えきることができなかった」先生がたくさんいるわけですから、どう考えても、生徒の平均的な学力が向上するはずがありません。

手前味噌な話になりますが、教科書が改訂されるたびに、私も新しい指導内容や改正点などを研究します。教科書をじっくり読み、自分なりに指導ポイントを洗い出し、さらに教科書に沿った問題をできるだけ多く解いてみて、もう一度指導内容を吟味する。その作業を繰り返します。移行措置で削除になった所についても、極力指導することを心掛けています。しかし、今回の教科書は、あまりにも内容が減ってしまい、加えて、「生きる力」を養うという大義名分の一環からでしょうか?「○○をしてみよう」とか「××を調べてみよう」とか、抽象的な部分が多く、教える側として、非常にポイントを絞りにくいものになってしまい、多分、学校の先生の多くは、指導書(いわゆるマニュアルです)とにらめっこという状況になると思います。

教科書の大改訂があると、私の経験上、学校の授業は、削除された内容も極力教えようとする(入試に出ないとは限りませんから、やはり教えるべきといえるでしょう)熱心な先生と、与えられた教科書の内容のみ(またはそれ以下の内容)を淡々と消化する先生に二分化します。残念ながら、後者の場合が圧倒的に多いのですが…。




風が吹けば桶屋がもうかる


 『風が吹けば桶屋がもうかる』とは、「1.風が吹く⇒2.ほこりが舞って目に入り、目が見えなくなる人が増える⇒3.その人達が、三味線弾きになる⇒4.三味線をつくるために、猫がつかまえられて減ってしまう⇒5.猫が減ってねずみが増える⇒6.増えたねずみが桶をかじる⇒7.桶が売れるので、桶屋がもうかる」つまり、あることが原因となって、それとかけはなれた結果がおこることをいいますが、少々強引に「風」を「学力低下」に置きかえてみると…。

「1.学力が低下する⇒2.労働力の質が低下する⇒3.生産力が低下する、生産品の質が低下する⇒4.国際競争力が低下する⇒5.会社の利益が低下する、給与が低下する⇒6.今以上の不景気になる」こう考えてしまい、現実にそうなってしまうことも、絵空事ではないかも知れません。

一昔前に、中曽根元首相が「アメリカ人は、知的レベルが低い」と発言して物議をかもしたことがありましたが、日本がその後、小中高生の学習内容をどんどん削減していったのとは反対に、その後のアメリカは、それを増やしていきました。当時の日米の経済の状態が、いまや全く逆転してしまいました。あまり語られることもありませんが、「教育制度のあり方も、実は想像以上に経済に大きく関係しているのではないだろうか?」そう思います。




子どもたちの間違った認識


 歴史のお話をさせていただきます。退屈かも知れませんが、少々お付き合いください…。

現代の日本は、識字率(文字が読める人の割合)の高いことでは、世界一です。一般には、明治以来の義務教育の普及のせいで、今日のような学校制度が整っていなかった江戸時代には、「文字の読めなかった日本人が大勢いたとのでは?」と思い違いをしている人が意外に多いのですが、しかし実際には江戸時代から識字率は極めて高く、一般の庶民の大半は文字を読み書きすることができました。

現在残っている江戸時代の記録を見ても、一般の農民や漁民、職人などの書いた文章がありますが、いずれもとても立派な文字ばかりです。関孝和という人物は、江戸時代前期の有名な数学者ですが、え〜、”方程式の判別式、ニュートンの近似解法、行列式やベルヌイ数の発見、未知数の変換、正負の根の存在条件、その他…”何だかまったく分かりませんが(笑)、聞いただけで頭が痛くなりそうな、難解な高等数学の発見や計算を行なっていたそうです。

水呑百姓であった二宮尊徳も、高等数学(立体帰化)をフルに応用した地形改良によって農業改革を行なっており、また、多摩地方の農民が余暇に高等数学を解いて楽しんだり、数式を絵馬に画いて神仏に奉納したりしているそうです。

少し前に、その生涯が映画化された伊能忠敬は、52歳から69歳までの17年間、日本列島の海岸線を測り、それがのちに弟子がまとめた「大日本沿岸與地全図」(伊能図)になるのですが、現在の地図とくらべても、ほとんど誤差がなく(具体的には、縮尺1万分の1でわずか0.16ミリメートルの誤差だそうです)、一人の老人がつくった地図が、近代的な測量機械と200人の測量隊で20年がかりで作った精密な地図とまったく一致するということは、江戸時代の和算が、ひいては一般庶民の科学や文化が、いかにすぐれていたかということの証明です。

1853年、浦賀にペリーが来航して日本は開国をするわけですが、その時ペリーは伊能地図を持参していた(シーボルトという医師が、ひそかに日本から持ち出した地図です)そうです。ペリーはこの日本地図が、方位も縮尺もまったくでたらめで、単なる見取り図にすぎないと聞いていたので、まったく信用していなかったのですが、実際に測量をしてみると、驚くべき正確さで科学測量された地図だということがわかり、野蛮な国だと思っていた日本が、恐るべき技術を持った国だと認識したペリーは、江戸湾の測量を中止して、ただちに琉球に引き揚げていきました。(当時アメリカは、世界最大の捕鯨国でした。アメリカは捕鯨船のために燃料と水、食料を補給する寄港地を求め、そのために日本を開国させたわけです。そのアメリカが、日本に「鯨を食べるな!」というのは、まったく納得できませんね!)【参考文献〜うめぼし博士の逆・日本史/樋口清之著/祥伝社】

さて、生徒を前に授業をしていると、大半の生徒は、「時代をさかのぼればさかのぼるほど、人間の知的水準は低かった。今が一番高い」そう思うようです。それは、ダーウィンの「進化論」で、「人間は猿から進化した」という考えが、常に現代人の頭のどこかにあるからでしょうか?(ちなみに、欧米では進化論を否定する人の割合は、日本の比ではありません。「人は神から分かれた」とする、宗教の根本の教義に相反するからです)しかし、以上のような話や、「今は高校で習っている○○や××は、昔は中学校で習ったんだよ」と具体的に話をすると、かなり驚くようです。




ぬるま湯の教育


 さて、江戸時代にそれだけすぐれた文化をもっていた日本は、明治維新をなしとげ、欧米の文化を吸収し、敗戦のどん底から、奇跡の高度経済成長をとげて現在にいたるわけですが、それを可能にしたのは、日本人全員が、世界的に見ても極めて高い水準の教育を受けていたからにほかなりません。

昭和30年代前半、日本の大学進学率は10%を切っていました。現在のそれは約50%にもなりました。母によると、当時の道東では高校への進学率は半数に満たず、家庭の事情で上の学校へ進むことができない生徒が大半であったそうです。父や母の世代、その上の世代の方々は、高校や大学に進む能力があっても、経済的に無理な場合が多かった…。

それにくらべて、今は何と豊かな時代でしょう?子どもが多く、レベルの高い教育を受けたがしかし、貧しくて能力を思うように発揮できなかった時代。一方、子どもが少なく、経済的に恵まれているにも関わらず、低い教育を与えられる時代…。どちらも不幸ですが、後者の方がより不幸なのかも知れません。砂時計をひっくり返して見ていると、「いつの間にか、こんなに砂が減ってしまった…」と思いますが、この仕事を通して、「教育の地盤沈下」を強く感じます。




講師雑感5 〜続・縞次郎の話〜


 500gの子猫だった縞次郎が、いつの間にか10倍の体重になってしまいました。(苦笑)

先日、朝方にバキッ!ガシャ〜ン!バチャバチャッ!と大きな物音が…。「ウォ〜、何だぁ?」と飛び起きて見てみると、何と、縞次郎が熱帯魚の水槽に落ちているではありませんか!(唖然…)いつも水槽の上に乗って、熱帯魚にちょっかいを出していたのですが、「重み」でふたのガラスを割ってしまったのでした。(笑)以前は、朝、洗面所で頭を洗っていると、両手がふさがっている私の足をガリガリかじって攻撃(!)するのが日課でしたが、最近、少しはおとなしくなりました。しかし…、相変わらず、史上最強レベルの「いたずらボーズ猫」であります。(^^)