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平成14年7月
『学校の勉強の内容を、ほぼ理解している生徒は、小学校で約7割程度、中学校で約5割程度、高校で約3割程度』と言われています。学校間の格差は当然ありますが、実際に現場で生徒の学習指導をしていると、今も昔も、その数字は現実に近いものであると実感します。 ちなみに、私はこれを『七・五・三の法則』と呼んでいます。そして、中学生の場合には顕著ですが、ごく標準的なレベルの試験問題の平均点は、60点程度になる(中学生だと、5教科の平均点が300点付近になることが多い)ものです。私はこれを『6割平均の法則』と呼んでいます。
この春からの「新指導要領」は、簡単に言うと『子どもたちに、さらに「ゆとり」を与え、基本をしっかりと身に付けさせ、「七・五・三」の理解度を、もっと高めよう!』といったものです。「教える内容を大きく減らして、基本を徹底させよう。授業時間が減ったとしても、これならば大丈夫だろう!」ということで、見切発進をしてしまいましたが…。 ご父母のみなさまもお感じでしょうが、特に「理数系」教科は、以前より格段に簡単になっています。では、平均点はどうでしょう?「当然、上がっているだろう」とお思いになられますか?結果は…。驚くなかれ、以前よりも、はるかに簡単な内容にもかかわらず、やはり「6割」程度でしかありません。残念ながら、相変わらず『6割平均の法則』が成り立っているわけです。
過度の詰め込み主義の教育がなされ、「受験戦争」と言われたころも、驚くほど薄い内容の教科書で教育を与えられている今も、文部科学省のエリート官僚たちの予想とは裏腹に、試験の平均点に大差はありません。つまり、いくら指導内容を減らそうが、『七・五・三の法則』と『6割平均の法則』が、相変わらず成り立っているわけです。 この教育制度をつくった側の人間は、おそらく小・中・高・大と通じて、極めて成績優秀な方たちだったのでしょう。「僕たちは、勉強の内容はほとんど理解できたし、いくら何でも、これはできるだろうね」エリートたちの、その考えは、「甘い!」の一言に尽きます…。 話は変わりますが、企業が、賃金のベースアップ額を決定する際に、何を基準に決めるのか?その理由を「企業業績」と回答した企業は、約70%で1位でしたが、2位の「世間相場」と回答した企業は、20%弱にものぼります。(平成13年版「労働経済白書」より)つまりは、「世間一般にこの程度なのだから、ウチも同じくらいにしておけば問題ないだろう」そういった、安易な考えで賃金を決定している企業も多い。そう言えるわけです。残念ながら、公教育に関しても、同様の考えを持つ方が多いと思われます。「まあ、クラスの半分くらいにいるんだから、特に問題ないだろう」「普通であれば、特に問題ないだろう」そういう考えが根底にあるわけですから、『6割平均の法則』が変わらないのは、当然なのかも知れません…。 しかし、基準となる、「普通」レベルの学力が低下しています。「ゆとり教育」が導入されてから、じわじわと低下してきましたが、予想通り、ここにきて急激に低下しはじめました。
私のバイク仲間には、口の悪い人間が多いのですが、(苦笑)先日、ある年上の友人に、『何だか知らんけど、「授業時間が減りますよ。さあ大変です!だから塾へ通いましょう!」って、ずいぶん塾の広告が多いよな。たいしたコトじゃないのに、そうやって煽ってんだべ?イイ商売だよな、お前ら?』と言われました。(←強烈な毒舌ですね!) 「○○さん、そう言うけどね、ホントにひどいんだよ」「今、気温が0度です。3度下がったら何度?」「−3度だべ」「正解。じゃあ、気温が+2度です。3度下がったら?」「−1度に決まってるべや!」「あのね○○さん、コレって中1の最初で習うんだけどさ、今は、コレができない子がたくさんいるんだよ」「え?まさか…」そこから、延々と語ってしまいました。「じゃぁ何よ?読み書きと計算ができないってことか?一体、小学校で何を教えているのよ?」「う〜ん、ホントだよね」最近は、こういう話をする機会が増えました。
さて、「教える内容が簡単になっても、絶対に学力は回復しない!」という、私の持論の理由である、『七・五・三の法則』と『6割平均の法則』をご説明しましたが、これに加えて我々を悩ますものはといいますと、『素通り主義』です。(笑)これは何かといいますと、学習指導の上で、「教科書に出ていなくても、学校で習わなくても、必ず覚えなくてはならない部分・身に付けなくてはならない部分」があります。学力低下を阻止するために、我々としては、当然にそれを指導するわけですが、多くの生徒は、「先生、学校でやってないよ」「先生、教科書に出ていないよ」と言い、習っていないから・教科書に出ていないから、として避けて通ろうとします。これこそが最大の「敵」なのです。 学校で習わなくても、教科書に出ていなくても、「やるべき」所を、しっかりと身に付ける。それができれば、成績は確実に上がるのですが、実は、その部分の指導こそが、最大に我々を悩ませるわけです。くり返しになりますが、「教科書に出ていないこと・学校で習っていないこと」を指導しようとすると、生徒の強い抵抗にあいます。これがなければ、成績を上げることは、簡単なことなのですが…。 しかし、考えてみれば、大人の世界も同じです。「仕事を増やして、忙しい思いや苦労をしたくない」「できる限り、楽をしたい」残念ながら、そう思う人間が多いのは、大人も子どもも同じです。この『素通り主義』が、今でも『6割平均の法則』が通用してしまう、最大の原因と言えるでしょう。
少々暗い話になってしまいましたが、全体の学力レベルが低下しているわけですから、「少ない努力で上へ行ける」とも言えるわけで、その意味では良い時代です。 私のころですと、「絶対にコイツを抜けないな…」と思うガリ勉がいたものですが、今は、そういう生徒をほとんど見かけません。大学受験も、一部を除けば、実質倍率は年々低下しています。この状況をチャンスととらえ、かつての教え子の中には、一度社会人になった後に、国立大学に入学した者もいます。(他の教え子に、現在国公立大医学部を目指して勉強をしている者もいます。最近は、30代で医学部受験を目指す人も増えているそうです) ライバルが少なくなっているわけです。努力をしても、なかなか上へ行けなかった時代とくらべると、チャンスは増えていると言えます。塾生のみんな、今がチャンスなんだよ!
私はバイク乗りです。さすがに最近は、乗る機会がめっきり減ってしまいましたが、この時期になると、「バイクの虫」がムズムズします。以前は、夏休みになると毎年本州へ走りにでかけました。行き先を決めず、行き当たりばったりで旅に出るのが大好きです。 旅には、大なり小なりトラブルがつきものです。10年ほど前、仙台の山の中で、道に迷って、夜の真っ暗な砂利道で、相棒のバイクがパンクをしました。(何と、その日は1日に3回もパンクしたのでした。すごい確率です!)(←偶然1) 汗だくになって、テントを張れそうな所までバイクを押して行きました。「とりあえず、ここで野宿をして、明日修理するか。う〜ん、パンク修理ばっかりだな。真っ暗だし、ここで寝るのも、あんまり気持ち良くないなぁ…」などと思いながらテントを出していたら、そこへ一台のワゴン車が。星を見にきたという、地元の大学生たちでした。偶然にも、彼らもバイク乗り(←偶然2)で、何とそのワゴン車はオフロードバイクを積める車でした。(←偶然3) バイクを載せてもらって、山を降りることになりました。ところが、車とバイクを渡す板がありません…。と、周囲を見ると、なぜか?ちょうど良い板が落ちている(←偶然4)じゃありませんか!(重ね重ねの偶然に、一同、大笑いです)車中、彼らの一人が、「そうだ、今日、旅行でウチの家族いないんですよ。良かったら泊まって行きませんか?」(←偶然5)と言ってくれて、泊めてもらうことになりました。 飲んで語って、翌日は観光案内までしてもらいました。観光地の松島では、私のバイクのナンバーを見て、「あんた、釧路からきたの?私たちも釧路から来たんだよ!」(←偶然6)という方たちと、ローカルな話で盛り上がりました。 私を救助(?)してくれた大学生の一人と、しばらく連絡を取り合っていたのですが、その後、音信不通になってしまいました。夏になると、「今ごろ、彼らはどうしているのかな?」と思います。バイクで、野宿をしながらの『日本一周』の旅。現在は、日本半周で中断したままになっています。いつになるかは分かりませんが、そのうち後半戦を再開したいと思っています。
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