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  VOICE   No.13  

平成15年1月

ある新聞の記事より


 以下は、昨年の北海道新聞の記事からの抜粋です。

(前略)学習塾関係者は、「公立のゆとり教育への不安もあり、子どもの数自体は減っているのに、塾通いは大きく減ってはいない」とみる。学習塾に通う中三生の多くが受験する模試「北海道学力コンクール」事務局の進学舎(札幌)の推計では、塾に通う中三生は、1992年が生徒全体の35%前後だったのに対し、今年は45%前後に上る。

(中略)また、学習塾や私学は札幌などの都市部に集中しており、郡部の生徒は寮や下宿暮らしでもしない限り、通うにも困難が伴う。家庭の経済的余裕の差や地域の差。こうした環境の違いは、子供たちに何をもたらすのか。刈谷剛彦東大教授らの研究グループは昨秋、関西圏の小五と中二の計2202人に国語、算数・数学の学力テストを実施した。対象は、89年に大阪大のグループが関西圏で行ったのと同じ学校。問題もほぼ同じにした。塾に通う子供の平均点は12年前も、通っていない子供より高かったが、今回、その差は広がった。例えば中学数学は、89年は塾通いの平均点が75.8点で、通っていない子の62.5点を13.3点上回っていたが、昨年は塾通いが74.5点で、通っていない子は54.5点。差は20点になった。数値に表せない学力もある。しかし刈谷教授は「出題は基礎的な問題ばかり。それでも塾に通える子と、そうでない子の差は着実に広がってる。教育は危うい方向へ加速している」と警告し、「学校週5日制の見直し、良質の教材作成のための教育費増額などで、公教育を立て直さなくてはならない」と説く。【北海道新聞 2002.11.21朝刊】




経済的格差と学力の格差


 さて、スクラップしていたこの記事を読み返したのですが、 正直、読むたびにドキッとします。なぜかといいますと、『親の経済状態が、子どもの成績の明暗を分ける可能性が、更に高くなった』と、最近、痛切に感じるのです。

記事にもあるように、塾へ通っている生徒と通っていない生徒の平均点には、数学では実に20点もの開きがあるわけです。(しかも、この数字は、学習内容が3割減になる直前のものですから、今後はもっと差が開くはずです)地域によっては、それ以上になるかもしれません。私は、長年この仕事をしてきました。よって、ある程度の差があることは知っていたつもりですが、「やはり、ここまで差が開いたか…」と思うと、私教育に携わるものとして、とても複雑な心境になるのです。

さて、こういうことはニュースレターに書くべきではないのかもしれませんが…。でも、書いてしまいます。

釧路市の経済は、ご存知のように冷え込んでいます。炭鉱の閉山、大手スーパーの相次ぐ撤退、基幹産業である漁業の長期低迷、人口は流出するばかり…。暗い話ばかりで、街はある種の閉塞感に包まれています。不景気な北海道の中でも、更に輪をかけた状況にあるのは、皆さまもご存知の通りです。

先ほどの記事中に、「全道の通塾率は上昇している」とありました。実際に、札幌圏の学習塾では、塾生数は、前年比約2割増が平均と聞きます。他の都市部でも同様と聞きます。ところが、釧路地区はどうかといいますと、(明確な数字はありませんが)同業に聞いても、増えたという話を聞きません。例の、「指導内容3割減」「完全週休2日制」というのが、学習塾業界では追い風になっているのですが、こと釧路に関しては風は吹かなかったようなのです。(そんな中にあっても、おかげさまで、当釧路愛国教室は昨年よりも生徒数が増えております。ありがとうございます)

これは何を意味するのか?言いにくいことですが、「他地域との経済的な格差が、教育の格差につながっている」と思うのです。以前なら、学校で教える内容はある程度しっかりしたものでしたが、ご存知のように現在は、削減につぐ削減。「本当にこれで良いのか?」という内容になってしまいました。経済的に余裕があれば、学習塾や家庭教師などといった選択肢もあるでしょうが、そうでない場合は…。悲しい話ですが、釧路ではそういうケースがかなり多くなってきていると、学習塾経営を通して強く感じるのです。

「塾へ通わせたいとは思うのですが…」そういうお話を聞くことが、以前よりも多くなりました。そのたびに、心が痛むのです…。『ゆとり教育の被害者は、経済的弱者に他ならない!』声を大にして叫びたいです。




浮きこぼれ?


 更に、先ほどの新聞記事は、「浮きこぼれ」について言及していました。耳慣れないことばですが、学校の授業では物足りず、「浮き上がってこぼれている」という意味だそうです。(「なるほど、言い得て妙だ」と感心してしまいました)

一時期、有名私立中学校・高校の入試問題は、難問・奇問のオンパレードでした。あまりに度が過ぎたので、お上から「待った」がかかり、最近は、それらの問題をあまり目にすることもなくなったのですが、一部ではそのニーズが再び高まっているわけです。ゆとり教育の名のもとに、全体を低いレベルに抑えてしまうと、このような現象も出てくるわけです。皮肉なものです…。




自分にプライドを 〜私の勉強法6〜


 勉強方法というのは、個人によって好みも適性もあると思いますが、私の学生時代の経験として、一番有効だったと実感しているのは、「反復の継続」です。毎日小さくても目標を決めて、それを消化していくことでした。

人間というのは習っても一度で知識として頭に残るものは少なく、それを自分の知識へと昇華するためには、何度も繰り返す作業が必要です。二度・三度出てきた単語なのに思い出せない。という経験は、皆さんにもあるのではないでしょうか?前回解けていた数学の問題が、次の日にはわからなくなってしまっていることもあるでしょう。忘れてしまうことは誰にでもあるので恥じる必要はありません。しかし、その後いかに繰り返す努力をして、自分の知識として蓄え、それをテストに生かせるかが、出来る出来ないの差だと思います。

一度や二度の繰り返しで覚えられる人は、ハッキリ言って有利です。しかし、三度・四度とやっても覚えられなかったとしても、自分が「消化できた」と実感できるまで繰り返せばいいだけの話です。私は要領の良い方ではなかったので、学生時代はそんな努力をしていました。

次に、勉強に取り組む上で大切だと思うことは、出来ない問題をあきらめず、何としても解こうとする「自分に対してのプライド」です。私は負けず嫌いなので、問題が出来ないのは単純に悔しいのです。この「悔しい」と思う感情が、上記の「毎日の継続」を生むのだと考えます。「出来ないのは仕方ない」「別にいいや」とあきらめてしまうのは簡単だし、楽なのですが、逆に「悔しい」と思う気持ちから努力した結果得られる喜びは、何物にも換えがたいものがあります。私は、その喜びや達成感、満足感を味わいたいがために辛い時も頑張れたような気がします。

上に書いたことは、今まで何度も言い古された、当たり前のことかも知れません。しかし、勉強する上でとても大切なことだと私は思います。一見簡単なようですが、本当に実行出来るかが成績を左右する大きなポイントになるものです。皆さんも、出来ないということに甘んじることなく、自分にプライドを持って繰り返し続けていってください。(高橋宏恵)




講師雑感9 〜座右の銘〜


 資格試験の勉強をしていた折、試験の直前に合格祈願と書かれたハガキ届きました。私が利用していた資格の学校TACからでした。内容はこうです。

駆けに駆けて勝ちを取りにいく。

  1. 思いもしなかったことが降りかかってくる時がある。「それでもやるのか」と試されている時だ。そんな時は迷わず前に進め。
  2. 自分の原点となる芯を固めて努力を続けていると不思議な出会いが生まれてくる。
  3. 自分の限界と本気になって向き合い戦っていると、いつの間にか限界が消えている。
  4. 本番で自分を信じる。これまで努力を重ねてきた自分を信じて戦う。
  5. 苦しくてもう駄目かもしれないと弱音を吐きたくなる時、ライバルも苦しんでいる。ここで踏ん張る。
  6. 本番が近づいてきたら一気に走り出し駆けに駆けて勝ちを取りにいく。
  7. 試練を乗り越えない限り運命は開けない。地獄の底をはいつくばって力をつけ、その力を全て出して乗り越える。
  8. 最後の最後まで粘りぬく。絶対にあきらめない。
  9. これまで勉強をしてきた全てを答案用紙の上に表現する。
  10. 苦しくても誰も助けてくれない。自分一人の力で前へ進む。
  11. どんなに力があっても、試験に合格しない限り世の中は認めてくれない。
  12. いま受験できることは幸せなことだ。だが、いつまでも受験できる訳ではない。早く決着をつける。合格祈願

実際にハガキを目にしたのは試験後でしたが、とても感動しました。失礼とは思うものの、学院長に色紙を書いて下さるよう、メールでお願いをしました。結果、こころよく応じてくださいました。

勉強に限らず、部活や仕事など、何か一つのことを「やるだけやった」と言える人は、上の文面の意味が痛いほどわかるはずです。塾生のみなさん、ぜひ読んでみてください。ここに、目標を突破する大きなヒントがあります。「駆けに駆けて勝ちを取りにいく」座右の銘の色紙が、今、私のそばにあります。宝物が一つ増えました。