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平成15年1月
以下は、昨年の北海道新聞の記事からの抜粋です。
さて、スクラップしていたこの記事を読み返したのですが、 正直、読むたびにドキッとします。なぜかといいますと、『親の経済状態が、子どもの成績の明暗を分ける可能性が、更に高くなった』と、最近、痛切に感じるのです。 記事にもあるように、塾へ通っている生徒と通っていない生徒の平均点には、数学では実に20点もの開きがあるわけです。(しかも、この数字は、学習内容が3割減になる直前のものですから、今後はもっと差が開くはずです)地域によっては、それ以上になるかもしれません。私は、長年この仕事をしてきました。よって、ある程度の差があることは知っていたつもりですが、「やはり、ここまで差が開いたか…」と思うと、私教育に携わるものとして、とても複雑な心境になるのです。 さて、こういうことはニュースレターに書くべきではないのかもしれませんが…。でも、書いてしまいます。 釧路市の経済は、ご存知のように冷え込んでいます。炭鉱の閉山、大手スーパーの相次ぐ撤退、基幹産業である漁業の長期低迷、人口は流出するばかり…。暗い話ばかりで、街はある種の閉塞感に包まれています。不景気な北海道の中でも、更に輪をかけた状況にあるのは、皆さまもご存知の通りです。 先ほどの記事中に、「全道の通塾率は上昇している」とありました。実際に、札幌圏の学習塾では、塾生数は、前年比約2割増が平均と聞きます。他の都市部でも同様と聞きます。ところが、釧路地区はどうかといいますと、(明確な数字はありませんが)同業に聞いても、増えたという話を聞きません。例の、「指導内容3割減」「完全週休2日制」というのが、学習塾業界では追い風になっているのですが、こと釧路に関しては風は吹かなかったようなのです。(そんな中にあっても、おかげさまで、当釧路愛国教室は昨年よりも生徒数が増えております。ありがとうございます) これは何を意味するのか?言いにくいことですが、「他地域との経済的な格差が、教育の格差につながっている」と思うのです。以前なら、学校で教える内容はある程度しっかりしたものでしたが、ご存知のように現在は、削減につぐ削減。「本当にこれで良いのか?」という内容になってしまいました。経済的に余裕があれば、学習塾や家庭教師などといった選択肢もあるでしょうが、そうでない場合は…。悲しい話ですが、釧路ではそういうケースがかなり多くなってきていると、学習塾経営を通して強く感じるのです。 「塾へ通わせたいとは思うのですが…」そういうお話を聞くことが、以前よりも多くなりました。そのたびに、心が痛むのです…。『ゆとり教育の被害者は、経済的弱者に他ならない!』声を大にして叫びたいです。
更に、先ほどの新聞記事は、「浮きこぼれ」について言及していました。耳慣れないことばですが、学校の授業では物足りず、「浮き上がってこぼれている」という意味だそうです。(「なるほど、言い得て妙だ」と感心してしまいました) 一時期、有名私立中学校・高校の入試問題は、難問・奇問のオンパレードでした。あまりに度が過ぎたので、お上から「待った」がかかり、最近は、それらの問題をあまり目にすることもなくなったのですが、一部ではそのニーズが再び高まっているわけです。ゆとり教育の名のもとに、全体を低いレベルに抑えてしまうと、このような現象も出てくるわけです。皮肉なものです…。
勉強方法というのは、個人によって好みも適性もあると思いますが、私の学生時代の経験として、一番有効だったと実感しているのは、「反復の継続」です。毎日小さくても目標を決めて、それを消化していくことでした。 人間というのは習っても一度で知識として頭に残るものは少なく、それを自分の知識へと昇華するためには、何度も繰り返す作業が必要です。二度・三度出てきた単語なのに思い出せない。という経験は、皆さんにもあるのではないでしょうか?前回解けていた数学の問題が、次の日にはわからなくなってしまっていることもあるでしょう。忘れてしまうことは誰にでもあるので恥じる必要はありません。しかし、その後いかに繰り返す努力をして、自分の知識として蓄え、それをテストに生かせるかが、出来る出来ないの差だと思います。 一度や二度の繰り返しで覚えられる人は、ハッキリ言って有利です。しかし、三度・四度とやっても覚えられなかったとしても、自分が「消化できた」と実感できるまで繰り返せばいいだけの話です。私は要領の良い方ではなかったので、学生時代はそんな努力をしていました。 次に、勉強に取り組む上で大切だと思うことは、出来ない問題をあきらめず、何としても解こうとする「自分に対してのプライド」です。私は負けず嫌いなので、問題が出来ないのは単純に悔しいのです。この「悔しい」と思う感情が、上記の「毎日の継続」を生むのだと考えます。「出来ないのは仕方ない」「別にいいや」とあきらめてしまうのは簡単だし、楽なのですが、逆に「悔しい」と思う気持ちから努力した結果得られる喜びは、何物にも換えがたいものがあります。私は、その喜びや達成感、満足感を味わいたいがために辛い時も頑張れたような気がします。 上に書いたことは、今まで何度も言い古された、当たり前のことかも知れません。しかし、勉強する上でとても大切なことだと私は思います。一見簡単なようですが、本当に実行出来るかが成績を左右する大きなポイントになるものです。皆さんも、出来ないということに甘んじることなく、自分にプライドを持って繰り返し続けていってください。(高橋宏恵)
資格試験の勉強をしていた折、試験の直前に合格祈願と書かれたハガキ届きました。私が利用していた資格の学校TACからでした。内容はこうです。 駆けに駆けて勝ちを取りにいく。
実際にハガキを目にしたのは試験後でしたが、とても感動しました。失礼とは思うものの、学院長に色紙を書いて下さるよう、メールでお願いをしました。結果、こころよく応じてくださいました。 勉強に限らず、部活や仕事など、何か一つのことを「やるだけやった」と言える人は、上の文面の意味が痛いほどわかるはずです。塾生のみなさん、ぜひ読んでみてください。ここに、目標を突破する大きなヒントがあります。「駆けに駆けて勝ちを取りにいく」座右の銘の色紙が、今、私のそばにあります。宝物が一つ増えました。
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