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  VOICE   No.19  

平成17年1月

バイクに乗らない若者たち


 先日、二十年来の友人であるバイク屋さんと話した際に、「最近の若者はバイクに乗らなくなった」という話を聞きました。そういえば、夜中に暴走する若者の数も減っていますよね!私も十代のころは、例によって車やバイクに夢中でした。アルバイトで稼いだお金でバイクを買い、夢中であちこち走り回ったものです。当然のごとくお金がないわけで、食事代をケチってガソリン代に回したり、寝袋一つで野宿の旅に出たりしたのも、今となっては良い思い出です。

十数年前のバイクブームのころは、北海道の夏は、どこへ行ってもライダーであふれていました。本州の大学生なんかが多くて、「ミツバチ族」なんて言葉もありましたね。ところが、前述の通り、最近の若者でバイクに乗る人はごくわずかだそうです。その原因を考えてみると、以前より趣味や余暇が多様化していることが大きな原因ではないか?と思うのです。




こんな子どもいましたよね!(~o~)


昔は、デパートやおもちゃ屋さんで、駄々をこねて泣きわめく小さな子どもをよく見かけましたよね!(←実は私もそうでした。アハハ!)ところが、最近は見かけたことがありません。親戚や友人の子どもを見ても、昔とは違って、実にたくさんのおもちゃを持っていますし、小さなころから、色々なものや選択肢が与えられた今の若者たちは、興味の対象が昔と異なり、実に多種多彩になっていると思うのです。

マンガやゲーム一つを取ってみても、本当に多くのジャンルがあり、それこそ星の数ほど種類があるわけですから、昔とは比べものにならないほど、趣味や余暇の選択肢が与えられていると思うのです。加えて、学歴社会の崩壊、終身雇用制や年功序列賃金制の崩壊による雇用不安。そこへ持ってきて、例の学習内容3割削減、学校週5日制。世の中も大きく変わり、価値観も多様化しています。深刻な学力低下の背景には、これらの複数の要因があるのだろうと思うのです。




新聞記事より〜学力問題 経済界も強い関心〜


 学力問題には、道内の経済界も強い関心を寄せている。企業の人材採用や社員教育の実態に詳しい北海道中小企業同友会の細川修専務理事は、企業が若い働き手に求める資質として@仕事上の問題を自ら発見し、解決できるA議会や役所に仕事の内容を説明できるB消費者が何を求めているかを分析できる―などを挙げている。

経済の高度成長期には、「正確な計算ができる」とか「文章を正しく理解できる」といった基礎学力の充実が経済界から期待された。その結果、学校でペーパーテストによる点取り競争が過熱したが、細川専務は「テストで『学力』を評価するのには限界がある」と指摘する。田中昌弥・道教育大助教授は、学力に関する論文の中で、「高度経済成長時代の学力観は、もはや通用しなくなっている」と主張した。働き手として社会から要求される「学力」は、基礎学力に加えて、説明能力や問題解決能力などで、まさに多面的な「学力」こそが社会から要請されているとみている。(北海道新聞/平成17年1月17日/太字は編者注)

この記事からもわかる通り、以前このNLでお伝えした「プラチナカラー」こそが、これからの社会で求められる理想的な人材像になりつつあります。少し前までは、学歴が最優先されたり、一つのことに抜きん出た能力を持つ者が高い評価を受ける時代でしたが、これからは基礎学力は当然として、問題解決能力などの「バランス感覚」というプラスαこそが求められる時代になるはずです。

昨年末に発表された二つの国際学力調査で、日本の子どもの学力が低下傾向にあることが明らかになったのはご存知の通りです。全体の学力レベルが低下する中で、予想通り、できる子とできない子の「二極化」が進んでいることも明らかになりました。




エリート役人の予想は当たりません!


 学力の低下と二極化について、文部科学省は、全国学力テストの実施や習熟度別授業の導入を進めています。実質的な方向転換です。予想はしていたものの、新・指導要領導入による学力低下のあまりのひどさに、お役人たちがびっくりしちゃったんでしょうね(苦笑)!

花粉症の被害者がこれだけ増えた原因は、国の責任である。という話を聞いたことがあります。戦後、日本の各地に杉が植林されたのには理由があります。杉は建材に用いることができる。電柱にも使えるし、余ったら樽材などの原料にもなる。よーし、植えるぞ!というわけで、国策で造林がすすめられました。ところが、ご存知のように価格の安い輸入材が大量に輸入され、高価な国産材の需要はどんどん減る一方。おまけに、電柱はコンクリート製に変わり、樽の生産もほとんどありません。

その結果、林業は衰退し、杉林は荒れ放題。春先には、大量の花粉を撒き散らす(今年は例年の10倍になるかも?と言われていますよね!)ので、花粉症の被害者は年々増え続けています。結局、今も昔も、国のエリート役人の予想は絶対に当たらないということですね!




「常識教育」の必要性


 私は思うんです。近い将来、公教育の目指すべき方向は、「常識教育」になるだろうと。企業や社会が求める人材像は、先ほどの記事の通り、基礎学力に加えて問題解決能力やコミュニケーション能力を持った人材です。ところが、子どもたちの学力低下は進む一方。基礎学力が低下するということは、子どもたちから「常識」が失われること意味します。

では、どうすれば良いのか?学校週5日制や指導要領を見直したところで、すでに学歴社会は崩壊しているので、学力向上の意義を見いだすのは難しいと思うのです。しかし、企業が求める人材像と現実の若者の能力には、大きなギャップがあります。そのギャップを埋めるものは、「常識」ということになると思うのです。

この言葉の意味を辞書で引いてみると、「じょうしき【常識】健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。『〜的』『〜のない人』」(岩波国語辞書)とあります。社会に出て、敬語をまともに使うことができない場合、この場合の「常識がない」とは「本来身に付けているべき知識が身についていない」ことを意味します。学歴が高くても、マナーや礼儀に欠ける人がいます。この場合の「常識がない」とは、「思慮分別に欠ける」ということを意味します。

近年、特に前者の意味での常識が、子どもたちから急速に失われているわけです。「これからの社会が求める人材になる」という点から逆算すれば、「これからの社会が求める人材になる」→「そのためには、バランス感覚を養うことが重要になる」→「そのためには、基礎学力(知識としての常識)と社会的なマナー(思慮分別としての常識)を身に付ける教育が重要となる」近い将来、このような方向に教育改革は進むのではないか?最近は、こう考えているのですが、はたしてどうなるでしょうか?




さて、ラストスパートだよ!


 中3生は、現在受験勉強の真っ最中です。順調に点数を伸ばしている塾生もいれば、伸び悩んでいる塾生もいますが、そんなみなさんにアドバイスを。勉強もスポーツと同じで、努力を続けていてもなかなか結果が出ない「タメの時期」というものが、必ずあるんです。スポーツに打ち込んだことがある人なら分かるよね。スランプに陥って、いくら練習をしても、なかなか上達しないといった経験があるんじゃないかな?「自分には才能がないんだ…」と落ち込んでしまう時期があるものです。でもね、それでも練習を続けていると、ある時に上達している自分に気づくものです。

実は、勉強もこれと同じなんです。ある時期までは、割と順調に得点が伸びていきます。ところが、やがて伸び悩む時期(タメの時期)にぶつかります。それでも努力を継続していくと、また伸びはじめる。ところがまた伸びなくなる…。これをくり返すわけですね。@覚えたことを忘れてしまう。Aなかなか成績が伸びない。これは、多くの受験生の悩みかも知れません。

これの対処法はね、@忘れたら覚えなおす。そのうちに忘れなくなる!A伸び悩んでも、それでも続けてみる。そうしたら必ず伸びる!これしかないんです。自分の力を信じて、最後の最後までがんばろうね。我々講師陣も、全力でサポートします。気合だ〜!(^_^)v




<今月のまとめ>


・これからの社会では、基礎学力に加えバランス感覚こそが求められる。
・できる子とできない子。学力の二極化が予想以上に進んでいる。
・今後の公教育が目指すべき方向性は、常識教育?
・忘れたなら覚えなおす。そのうちに忘れなくなる。
・勉強もスポーツも、伸びが止まるスランプの時期(タメの時期)がある。