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  VOICE   No.22  

平成17年4月

ゆとり教育の終焉


 「ゆとり教育」の是非については、このニュースレターでも何度も取り上げてきましたが、文部科学省は「ゆとり教育」を、本格的に方針転換する模様です。当然の結末だと思います。私教育の最前線に立つ者から見れば、こうなるのは100%明らかだったのに、本当にエリート官僚の考えることは理解できません…。

たしかに、知識偏重の詰め込み教育・偏差値重視の教育は、弊害をもたらしました。(今にして思えば、あの受験戦争や学歴偏重社会は、一体何だったのでしょうか?)それを改善し、「自分で考える能力を身につける」のが「ゆとり教育」の趣旨だったはずです。個人的には、その趣旨には賛成ですが、だからと言って学習内容を必要以上に削減し、おまけに学習時間も大幅に減らしてしまったのは大きな間違いでした。




もはや学力は回復しない?


 しかし、「ゆとり教育」を方針転換したところで、「もはや日本の子どもたちの学力が、以前のレベルに回復することはないだろう」私はそう考えています。理由はただ一つ。モチベーション(動機付け)がないからです。こう言っちゃ何ですが、名前を書けば受かるレベルの大学が多数存在し、18歳人口の減少に伴い、それらの大学が増加するのは必死です。大学進学率が上昇する中で、一部の上位大学を除き学力低下は顕著で、大学の価値自体が下がっています。

他方、インターネットの普及によって知識それ自体よりも、情報を収集・分析・利用する能力が問われる時代になってきています。(もちろん基礎学力は大切ですが)学力うんぬんよりも、それらの能力に重きが置かれる時代になってきています。おまけに、「ものの価値」が下がっています。それと同じく、「知識の価値」も下がっています。

昔は、調べものをしようとしたら手間がかかったものですよね。書店へ行ったり図書館へ行ったり、なかなか知りたい知識や情報を入手できなかったものですが、今はパソコン1台あればいつでもどこでも知りたい知識・情報を手に入れることができます。ネット上で質問をすれば、いつでも回答を得ることができるとても便利な世の中になりました。こんな便利な社会に生き、ものや知識の価値が下がっているのであれば、「勉強することの意義」が薄れていくのは当然の結果とも言えそうです。




求められる社会人になる


 学歴社会では、「良い点数を取って、良い高校・大学へ行き、良い会社に就職する」ことで安定した生活が保障されたものでしたが、今の日本は本当に大きく変わってしまいました。親も子も、目標を失いつつあります。今までの価値観で見ると、悪いことばかりの時代に見えますが、最近、'にぶい'私にもやっと分かってきました。逆なんですね!チャンスなんですね、これが。

例えば飲食店。少し前までは「売り手市場」でした。働き手がいないわけですから、使用者は妥協して、多少問題のある人でも採用しましたよね。態度の良くない、茶髪にロン毛にピアスのお兄ちゃんでも(笑)。でも、今は「買い手市場」ですから、そういう御仁はほとんど見かけません。でも、それってあたり前なんですよね!態度が悪い・清潔感に欠ける・まじめに仕事をしない、そんな人たちが働く場所があったこと自体がおかしかったわけです。ですから、今は「本物の時代」と言えます。求められる社会人になれば、多少景気が悪くても何とかなるもんです!




社会に出ることを前提とした教育へ


 ご父母のみなさんもそうでしょうが、私も子どものころ、将来に漠然とした不安を持っていました。「将来、どんな職業に就くのだろうか?」「働くって大変そうだな。自分は大丈夫かな?」そもそも、世の中の大人の大半は、「働くって、こんなに大変なものなんだ」とか、「お金を稼ぐってことは、とっても辛いものなんだ」と余計な(?)ことを言うから、子どもたちはそういうものだと思い込んでしまうのではないでしょうか?

その結果、責任の軽いフリーターに甘んじたり、ニートといわれる人が増えてしまう原因をつくっているのではないでしょうか?大人になったら働く。これは、いつの時代でもどこの国でも同じことです。ところが日本は、お金を稼ぐことは罪悪であるといった風潮がいまだに強い国です。しかし、何だかんだ言ってもお金がなければ生きていけないのが現実ですから、やっぱり働かなくてはなりません。

今までの公教育は、働くという行為に重きを置いてきませんでしたが、これからは重きを置かざるを得なくなるものと思います。「世の中にはこういう仕事がある。この仕事を選んだらこういうメリットとデメリットがあり、この仕事に就くには、こういった勉強が必要なんだよ」このようなことを、子どもたちにキチンと伝えていく教育。そして、将来社会人となった際に必要となる、マナーや知識を教える教育。そのために必要な基礎学力を吟味した教育。今後の公教育は、そのような方向性へシフトして行くべきでしょうし、そうならざるを得ないことと思います。




大きな目で日本を見ると


 いきなり話は飛びますが、日本が儲かっているということは、どこかの国が損をしているということになります。かつての日米経済摩擦などは、その良い例です。現在、中国経済がすごい勢いで伸びていますが、アジアにおける日本の生産力が中国へシフトしていることによります。人件費の安い中国を相手に、もはや生産力では勝負できないのは明らかです。

では、このまま日本が衰退して行くかというと、私はそうは思いません。日本は今、「知的財産立国」を目指しています。これは何かといいますと、「『ものづくり』に加えて、優れた発明や製造ノウハウ、ブランドやデザインやコンテンツ等を有効に活用することで国際競争力の強化を目指していこう」というものです。

簡単に言うと、国際社会の中で、国が「これからは、頭を使って色々な『ノウハウや知的財産』をお金に換えていきましょうね」ということを、国策として進めているのです。「もの」を売る国から、「情報やノウハウや知的財産」を売る国への路線変更です。そりゃそうですよね、このまま黙っていたなら中国に取って代わられてしまいますから!




ということは公教育はこう変わる?


 政府は、知的財産戦力大綱(マニアックですみません!(^・^))でこう述べています。「(前略)初等・中等教育を充実させ、創造的な意識を醸成する教育を進めることが必要である。(中略)我が国の科学技術の振興にとって重要な領域であるが人材が不足している新興の研究分野や、産業競争力の強化が必要な分野においては、国としてその分野に適応できる人材養成を行っていく必要がある。(後略)」

要するに、「日本はこれから知的財産立国を目指すんだから、教育を充実させましょう。才能を引き出すような教育をして行きましょう」といったことを言っているのですが、ん?これって「ゆとり教育」と思いっきり反対路線じゃありませんか!「科学技術の振興」って、今は理数離れが顕著なんだってば!

長々と書いてしまいましたが、こういうことです。@日本はこのままじゃ、中国や他のアジアの国に取って代わられてしまう。Aだから日本はこれから、ものを売る国から情報やノウハウを売る国になって行こう。Bそのために、専門家やエンジニアをたくさん養成しよう。Cそのためには学校教育を見直さなくてはならない。といったことで、近い将来、学力重視路線へ方針転換せざるを得ないものと思うのです。はたして、この予想は当たるでしょうか?(~o~)




ゆとり教育はウィンドウズ ME?


 ともあれ、「ゆとり教育」の一番の被害者は子どもたち自身にほかなりません。上から下は見渡せても、下から上は見えないものです。親の世代から見れば、子どもたちの学習内容がいかに薄く、またトレーニングの時間がいかに少ないかが見えますが、子どもたちにとっては、それがあたり前な環境ですから、その先の学習の重要性がなかなか理解できません。

私は現在、ウィンドウズの98とXPを使っていますが、その途中のウィンドウズMEは、うわさ通り本当に史上最悪のOSでした!(システムが不安定で、何度泣かされたことか…。ちなみに、現在は我が家の押入れで眠っています)「ゆとり教育」ということばを聞くたびに、このウィンドウズMEを思い出してしまいます(苦笑)。

98やXPは問題ありませんが、MEは悲惨でした。ゆとり教育で予想を超える学力低下…。では元に戻しましょう。「じゃぁ、一番ひどい(現在ですが)教育を受けた子どもたちはどうなるの?だれが責任を取ってくれるの?おいおい、それってMEを買って泣かされた俺と同じじゃん!」そう思ってしまうのです。しかし、縁あって知り合った塾生には、MEを脱ぎ捨てていただきます!というわけで、毎度ながら変な話にお付き合いいただきましてありがとうございました。<(_ _)>