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平成 18年 6月 人は勝手に育つもの私は学習塾経営者ですが、「教育者」なんかではありません。間違って「教育者」などと言われたら、ひぇー、体がかゆくなってしまいますよ!(お願いですから、教育者だなんて言わない&思わないで下さいね!)そもそも私、人は育てるものではなく「勝手に育つ」ものだと思っています。 その昔、お釈迦様やイエス様がすばらしい教えを民衆に説いていたのに、話を聞かないで通り過ぎた人だってたくさんいたわけですよね。そればかりか、迫害を加えた人も。どんなにすばらしい話をしても、それを聞こうという機根が相手に整っていなければ、心を動かすものにはなりません。 成績を上げようという気持ちがないのに、親に命令されてイヤイヤ学習塾に通っても、なかなか成績が上らないのと同じ理屈ですね(笑)。学校の勉強だけでなく、仕事や人間関係もそうですが、学ぶ準備ができている人は、教えられて学ぶのではなく、勝手に自分から学んで伸びて行くものです。 気付くまで無限ループが私、経営者として人を使う立場にありますが、実は2年ほど前に、ものすごく大きな発見をしたんです。それが先ほどの、「人は勝手に育つ」というものです。どういうことかと言うと、人を採用しようとして募集しますよね。そうしたら応募者がやってくるわけですが、「たいした能力もないくせに自信過剰」とか、「身だしなみがだらしない」とか、「時間にだらしない」とか、「そこそこ仕事はできるけど性格が悪い」とか、「口だけでまったく仕事をしない」とか、「社会人としてのマナーに欠ける」とか、「整理整頓がまったくできない」といった人も来るんです。「うーん、こいつの欠点は気になるけど、俺が教育して直せば、まぁ何とかなるだろう」などと思って採用したとしますよね。するとどうなるか…。 結局は、いくら教えても育たないばかりか、さんざん引っかき回されたあげくに、解雇するか自主退社という最悪の結果に。自分が、「教え育てよう」と考えているうちは、見事なぐらいに、同じような使えない人間が、手を変え品を変えてやって来るんですよ…。結局、「人は育てられない。勝手に育つものだ」と気付くまで、まるで無限ループのようにずっとそれが続くんです。この話、不思議ですが本当ですよ。私の実体験ですから(苦笑)! 人は育てられないご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は自宅にて社会保険労務士・行政書士事務所を営んでいます。最近はおかげさまで、切れ間なく仕事をいただいているもので(とは言え、まだまだ駆け出しのペーペーです)、朝から夕方までは社会保険労務士・行政書士業務、夕方からは学習塾講師という日々を過ごしているのですが、社会保険労務士・行政書士として、お客さんである経営者の方々とお会いしてお話しすると、不思議なことですが、みなさん、ほぼ例外なく先ほどのような体験をなさっているんです。つまり、「自分が従業員を教え育てよう」と思っているうちは、使い込みやら労働問題やらが次々とおこるんです。立場の違いを尊重し尊敬するそれで、「結局、人は育てることができない。勝手に育つものだ」(だから、元が悪いヤツを育てようなどと思いあがっていると、「それは無理なんだ!」という天からのゲンコツの雨あられが、わかるまで降り注ぐことになる)「教え育てようとするのではなく、社長が社員の倍働いて示せばいいんだ」(結局、社長が社員の倍働かない会社には、ダメ社員しか集まらない)「ふざけた社員は出て行ってもらう」(お互いに嫌な思いをするのなら、相手に出て行ってもらう)ということがわかると、ピタリと終わるんです。部下のことでお悩みのお父さん・お母さん、起業をお考えのお父さん・お母さん、将来社長になりたい塾生のみなさん、この話、ものすごーく重要ですから覚えておいてくださいね!労働問題の大半は、感情の対立が原因になっています。では、その対立はどこから生じるか?と考えてみると、「立場の違い」なんですよね。ということは、お互いがお互いの立場を尊重して認め合えれば、そういうトラブルは起きないことになります。 相手を認め、相手を尊重するってことですね。社長が、相手を「教え育てよう」という姿勢で接することは、相手を上から見下していて、相手を尊重し尊敬するという考えを否定していることになります。そうすると相手は反発するし、考えを改めない限り、なぜか不思議なことに、反発する相手がひっきりなしにやってくるんですよね。 子どもは勝手に育つものさて、先月号でお話ししました球根好きの私ですが、子どものころに球根をたてに切って顕微鏡で観察してみたことがあります。見てみると、すでに葉や花になる部分が詰まっているんですよね。球根は、土に埋めておくと、あとは勝手に育つものですよね。ただし、日光や水や栄養分が不足してしまうと、残念ながら本来持っている最高の形には育たないわけです。で、育つ過程で、大雨や日照りや台風に遭い、時には害虫に食べられたりしながら育ち、「花」を咲かせるわけですね。 これって、人間の人生と同じですよね。日光や栄養分や水や気温などは、子どもが育つ、教育・思想・習慣といった生活環境。大雨や日照りや台風、害虫による被害などは、人生におこる困難や挫折。そう置き換えて考えてみると、子どもってやっぱり「勝手に育つ」ものなんですよね。 生まれながらに完全一般に、植物の成長に必要なものは、水と光と空気と栄養分と土です。人間の場合は、「頭に知識」「体に栄養」「心に愛情や思いやり」そして「お金」。この四つのどれかが大きく欠けたなら、幸せに生きていくことはできません。でも、球根も人間も同じく、実は「生まれながらに完全」な状態だと思うんです。ところが、思想・教育・習慣といった育った環境に実に大きく左右され、大なり小なりいびつな形になってしまうもの。そういうものだと思うんですよね。人間の器が大きいとか小さいとか言いますが、器とは生まれながらに与えられた球根の大小のこと。 で、生きていく中で色々な経験を積んで栄養を吸収して球根が大きくなったり、逆にこじけてしまって小さくなったりするもの。そんな風に考えています。大人の役割は、神様からあずかった「生まれながらに完全」な状態の子どもを、そのまま大きく育つようにサポートすること。まぁ、私は子どもがいないので無責任で偉そうなことを言っていますが、お許しを(笑)。 個性って何だ?球根にも色々な種類があって、咲く花の色も数も大きさもまちまちです。いわゆる「個性」ってやつがあります。この時期は、学習塾のCMやら折り込みチラシなんかが目につきますが、「個性を引き出す、きめ細かな指導」とか「個性を重視したカリキュラム」とかいった、何だかよくわからないキャッチフレーズを見聞きします。私はいつも「それってホントか、おい?」って疑問に思うんです。そもそも、個性って何なの?【個性】@他の人とちがった、その人特有の性質・性格。A個人に特有の性質。と辞書にあります。「個性を引き出す、きめ細かな指導」は、「他の人とはちがう、その人特有の性質や性格を引き出す、きめ細かな指導」、「個性を重視したカリキュラム」は、「個人に特有の性質を重視したカリキュラム」ということになります(笑)が、「ねぇ、本当にそこまでできるの?俺にはできないよ!」って思うんです。 二種類の個性辞書の定義はどうあれ、私は「個性」というものは二種類あると思っています。個性Aは、生まれながらに持っている「その人の魂のクセ」のこと。「三つ子の魂百まで」って部分ですね。物心ついた頃から頑固な子は、大人になっても頑固ですもんね!個性Bは、後天的な個性。つまり思想や教育や習慣などによってつくられた部分。AとBを足して世間一般に「個性」と称していると考えています。さっきの球根の話ですけど、生まれながらに持っている(すでに決まっている)花の形や色とかの部分が、個性Aだと思うんです。それで、この部分を変えることは不可能。でも、個性Bの方は変えることが可能。そう思うんです。 大人の役目は、子どもの個性Aを尊重して、個性Bが最高の形に成長するように心と体と頭に栄養を与え続けるってことになるんでしょうね。では、どうすれば?はい、私も研究中ですからよくわかりません!今後も、研究成果(?)を報告し続けますので! 【追伸】スズランいりませんか?球根で思い出しましたが、我が家の庭には球根モノも多く植えているのですが、5年くらい前に植えたスズランがあります。放っておいてもなかなか増えないもので、昨年の秋に「増えろー」とか言いながら、集めておいた種を調子に乗ってまいたんです。そうしたら、ありゃりゃ、増えすぎちゃいました!コケモモとクロユリの群生地(?)に、スズラン軍団が侵略を開始してしまい、レッドカード状態(笑)になっています。というわけで、引っこ抜いて捨てちゃうのはかわいそうなもので、どなたかウチのスズランをもらってくださいませんか?ご希望の方はご遠慮なくお申し付けください。鉢に入れてプレゼントいたしますので、可愛がってあげてください♪ |