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  VOICE   No. 38 

平成 18年 9月

ニートの数が85万人?

 (前号の続き)ところで、マスコミによるとニートの数は約85万だそうですが、本当にそんなにいるんでしょうかね?計算してみると、日本の全人口の0.7%弱にあたります。単純に、日本国民が150人いれば、1人はニートということになりますが、本当にそんなにいますかね?じゃぁ、私が受け持たせていただいた生徒から、30名弱のニートが生まれたことになりますが、絶対にそんなにいませんよ。何人かはいるかも知れませんが、そんな数字はあり得ません!

数字のからくり

 納得できないので調べてみると、そもそもニートの定義ってものが二つあるんですね。内閣府と厚生労働省でニートの定義が違うんです。で、約85万人という数字は内閣府によるもの。マスコミは、「ニートの数、85万人!」などと不安をあおりたてていますが、この数字は「仕事を探しているが、事情があって一時職探しをしていない人」(非求職型)と「そもそも、職探しをしていない人」(非希望型)の合計から成り立っています。

世間一般に考えられているニートとは後者のことで、その数は約42万人。マスコミは、ちゃんと数字の意味を伝えないで、一部だけを取り上げるという手法を用い、誇張して報道していたってわけですね。この数字で単純に計算すると、日本国民の約300人に1人がニートってことになります。でも、ちょっと待った!この42万人の中には、僕らが認識しているニート像に加え、「家事手伝い」も含めるってことらしいです。おいおい、そりゃおかしいんじゃありませんか?

良家の、花嫁修行中の箱入り娘もニートってわけですか(笑)?おまけに、10代の若者(15歳〜)も含まれています。内閣府の定義では、大学浪人生なんかも数に含めることになりそうです。そういう数を差し引いて計算してみると、日本国民の400人に1人とか、500人に1人とかになるんじゃないでしょうかね?だったら、そんなに騒ぎたてるほどの数字じゃありませんよね。

不安をあおるマスコミ

 でも、べつに内閣府が悪いわけではありません。調べてみると、85万人の数字の根拠は、内閣府が発表した『青少年の就労に関する実態調査(2005年7月)』によります。インターネットで検索してちょっと目を通してみましたが、細かに分析された興味深いデータです。ちなみに、どこにも「ニートの数、85万人!」なんて書いていませんよ(笑)。

調査数字の一部を取り出して、マスコミが大げさに書きたてたってわけなんですよね。その数字を見聞きした子どもたちの中には、「世の中にそれだけニートが多いのなら、将来、自分もなってしまうかも…」と不安を抱いたり、「自分がニートの一人になっても、別に問題ないだろう」と思う子も出てくるはずです。ねぇねぇ、もうそういうの、やめた方がいいんじゃない?

「満州は日本の生命線」である。だから死守しようって言っていたけど、満州を失っても今や日本はこんなに裕福な国だよ。牛肉・オレンジや米の輸入自由化で、日本の農家が壊滅的なダメージを受けるって、受けてないべさ。このままじゃ年金制度が崩壊するとか、日本は貧しい国に転落するとか、そんなことになんかならないって!だって、これだけ勤勉で誠実な国民性の国なんだから。

植えつけられる恐怖と不安

 日本人が漠然と抱いている「将来への不安」の大半は、こうしてマスコミ(特にテレビ)に植えつけられたものが実に多いと私は考えています。私はバイク乗りなんですが(最近ごぶさたですけど)、バイクって目線の方向に進むものなんです。ですから、コーナーリング(カーブを曲がっている)の最中にガードレールばかりを見ようものなら、下手したらがけ下に転落してしまいます。僕らはこれを「金縛り現象」などと言っていますけど(笑)。

そうそう、先日、久々にバイクに乗ったんですけど、何と20年ぶりに立ちゴケしちゃいました。おまけに、コケたバイクを起こそうとしたところ、アキレス腱を痛めてしまって…。久々に乗ってみて、瞬発力もテクニックも明らかに衰えていることを実感しました。うぅ、悲しい。やっぱり、歳ですね(涙)…。

さて、話を戻しまして、世の中が、マスコミが、大人たちが、子どもたちに、「これでもか、これでもか!」とどんどん恐怖・不安を与え続けています。心の中で抱いている恐怖や不安は、先ほどの金縛り現象じゃありませんが、時として現実化するものです。恐怖・不安・劣等感というものが、どれほど子どもたちから自信とやる気を奪い取っていることか…。ですから、子どもたちには、常にプラスのことを伝え続けたいものです。

塾生へ伝えたいこと

 (以下、塾生のみなさんへ)塾生のみんな、「日本は生きにくい国になった」って言われるけど、そんなのウソだよ。こんなに平和でこんなに豊かな国なんて、ホントに珍しいんだよ。この国に生まれたこと自体が、すごい奇跡なんだよね。「勉強ができなければ、将来困ることになる」ってのもウソ。(ただし、中学校までの勉強は、とっても大切なものだと思うよ)

勉強がイマイチでも、性格が良くて、いつも笑顔で真剣に仕事に打ち込んでいれば、世間は放っておかないよ。仮に会社が倒産したとしても、お得意さんなんかから「ウチに来ないかい?」ってお呼びがかかるものなんだよ。大人たちは「世間はそんなに甘くない」とか、「それは世間が認めない」って言うけれど、「世間」って何のことはない。近所のおじさん・おばさんとか、自分の身の回りにいる人たちのカタマリことなんだよね。

だから、身の回りの人たちと仲良くやっていければ、社会に出てもまったく問題ないんだよ。「世間は冷たい」「世間は厳しい」って言うけれど、そんなことはないんだよね。ちゃんとやっていれば、実は世間って優しいものなんだよ。だから、恐れる必要なんてないんだよ。「仕事って本当に大変だ」っていうのも大ウソ。仕事って不思議なもので、やればやるほど楽しくなるものなんだ。おまけに、給料までもらえちゃう。そのお金で、好きなものだって買えるしね。

「仕事が大変でつらい」と思えるのは、真剣に取り組んでいないか、そもそもその仕事に向いていないかのどちらかだと私は思うんだ。「大人はつらい」って、そんなの超・大ウソだよ。だって、子どもよりもずっと自由が多いし、自分でものごとを決めて自分で道を切り開けるチャンスがとっても多いんだよ。私は、子どものころよりも、今の方がずっと充実していて楽しいけどね♪

不完全なままでいい

 考えてみると、平和で豊かな日本に生きているのに、「苦しい」「つらい」って感じる人が、こんなにたくさんいるのはおかしな話だよね。ってことは、世の中にはウソがとっても多いってこと。だって、大人たちの言うことが常に正しければ、こんなに不幸だと感じる人が多いわけがないもんね?私が塾生のみんなに言いたいのは、「じっくりと自分の目で、ウソとホントを見極めよう」ってこと。

実は、大人って不完全なんだよね。いくつになっても、完全な人間っていないんだよ。その不完全な人間が、子どもと接するわけだけど、不完全な大人が、なぜか子どもには完全を求めるから、わけが分からなくなって、話がこじれてしまうんだよね。人間は不完全なままでいいの。少しずつ自分に改良を加えていけばそれでいいの。だって、完全だったら神様だし、人間は神様になれないんだから…。

多数意見にはウソが多い

 実は私、最近やっと気付いたんだけど、世の中の多数意見にはウソが多い(または、どこかが間違っていることが多い)ものなんだよ。もちろん、全部がそうじゃないよ。ただ、少数意見の中にキラリと光る本物があったりするんだ。さっきのニートの話も、「あれ、ホントにそうなの?」って調べてみると事実とは違ったり、世の中ってホントにそういうことが多いんだよね。

最近、私も少しずつだけど世の中の色々なことがわかりつつあります。その調査結果(?)は少しずつみんなへ伝えるとして、みんなも、疑問を持ったことはどんどん調べて欲しいと思うんだ。

たかが勉強 されど勉強

 教室の壁に貼ってある講師からのことばに、私は今年は「たかが勉強 されど勉強」って書きました。ふざけて書いたんじゃなくって、本心からそう思うんだ。人が生きるってことは、常に何かを学び続けるってことだと思うんだ。学校の勉強や学問とか専門知識といったものだけじゃなく、世の中のしくみ・ルールとか、人と人との関わりや人間関係といったものを学ぶことも、広い意味での勉強と言えるよね。

究極の結論を言うと、「いかに、自分と他人の心を豊かにできるか」ということを学ぶために生まれてきた。それが人生の目的だと考えています。その辺の考え方は、人によって色々あるだろうけど、人が豊かに幸せに生きるためには、頭に「知識」・心に「愛情」それと「お金」が絶対に欠かせないものです。この三つのどれかが大きく欠けたなら、人は必ず苦しむものなんだよね。

だから、「本当の勉強」とは、この三つのバランスを学ぶことだと思うんだ。でも、私はプロの学習塾講師だからみんなには学校の勉強もしっかりやって欲しい。ウソとホント、本物と偽物、それを見ぬく目を養うためには道具や材料が必要だからね。だから、「たかが勉強されど勉強」そう思うんです。私もまだまだ未熟です。未熟な者同士、がんばろうね!