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平成 18年 12月 イライラの伝播いじめを苦にした子どもの自殺が増えています。そういうニュースを聞くと、本当に心が痛くなります。いじめの原因はどこにあるのか?親が悪い。教師が悪い。世の中が悪い。教育制度が悪い。今の子どもが悪い。とマスコミは喧喧諤諤やっていますが、私は、子どものいじめのほとんどは、「イライラの伝播」が原因だと考えています。例えば、会社で嫌なことがあった父親が、イライラしながら家に帰ってきて、奥さんにあたる。やつあたりされてイライラした奥さんは、子どもにあたる。叱られてイライラした子どもは、学校へ行ってほかの子をいじめる。 みんなイライラしていて、そのイライラが伝播しているんじゃないかと思うんです。実際、いじめをやっている側の子も、親のイライラの犠牲者であったり、親の愛情を感じられずに、淋しい思いをしている子が多いですから。 大人がイライラをやめる父親の会社では、朝の出がけに奥さんとケンカして、イライラした社長が部長を怒鳴り、怒鳴られてイライラした部長が、課長にねちねちやって、ねちねちでイライラした課長が、腹いせに部下(さっきの父親)にあたったのかも知れません。「世の中のイライラ」がその原因であって、それが次から次へと伝播していって、子どもたちの狭い社会の中で、弱いところをめがけて噴出したものが「いじめ」である。そう思うんです。だったらどうすれば良いのか? 大人がイライラをやめる。イライラを自分の所で遮断する。人にされて嫌だと思ったことを、人にしない。いつも笑顔、いつも上機嫌で過ごして、子どもにもそうしなさいと手本を示す。それが根本的な解決策だと思っています。 親への気遣い子どものいじめの問題に対して、大人たちが大きな間違いを犯している場合があります。それは、「嫌がっている子どもを、学校へ行かせようとすること」です。断言します。それは絶対にやってはいけません。いじめを受けている子どもは、親に言いたくないんですよ。それは、いじめを受けていることが恥ずかしいから、言いたくないってことじゃないんですよね。「親に心配をかけたくない」「親を悲しませたくない」「自分さえ我慢すれば」との思いから言いたくないんです。つらさと親への愛情の板ばさみの中で、のた打ち回りながら苦しんでいるんです…。 子どもが親にいじめを受けていることを、勇気をもって告白したとしても、全部は言いません。話すのは一部だけです。「1」話したなら、本当は「10」のつらさ・苦しさ・悲しさがあるんです。子どもは、それほどまでに親を気遣っているんです。 大人の社会でいじめがあったら、みんな逃れようとしますよね。例えば、会社内でパワハラ、セクハラなどのいじめがあったなら、周囲に相談したり、仲間を集めて対抗したり、相手に非を認めさせるために訴訟に持ち込むこともできます。でも、子どもにはそれができません。大人は会社をやめることができますが、小学生・中学生は学校をやめることができないんですから。 いい子ほど心に傷を負う嵐に遭ったらどうするか?一時避難して、過ぎ去るのを待つしかありません。疲れがピークに達したらどうするか?体を休めるほかありません。いじめに遭ったらどうするか?悪意を持った相手に心を傷つけられ続けたならどうするか?学校へ行きたくなくなる。休みがちになったり不登校になったりする。あたり前ですよね。でも、親は学校に行けと言う。それって、「いじめられに学校に行きなさい」って言ってるのと同じですよね。「針のむしろに座りに行きなさい」「もっともっと、傷つけられてきなさい」って命令しているのと同じです。嫌がる子どもを無理に学校に行かせることは、親もいじめに荷担しているのと同じことです。絶対にやってはいけません。 いい子ならいい子ほど、「親に心配をかけたくない」と思って、我慢して学校に行って、ますます心に傷を負ってしまいます。いじめ問題では、今も昔もマスコミの論調は、責任の所在、つまり悪者探しをしているだけですが、近い将来、必ず、「かわすこと・避難すること」を主張するようになりますよ。だって、それが子どもの命を守る一番確実な術ですから。 子どもが白旗を揚げてギブアップしているのだったら、何よりも休ませてあげるべきです。戦うにしろ、何か手を打つにしろ、身も心も弱った状況では良い考えなんて浮かびようもありませんから。 ことを大きくする大半の学校の先生は、いじめの問題に心を痛めています。子どもたちの良心に訴えるべく、日々努力しています。しかし、残念ながら、学校の先生がいじめ問題を解決することは難しいと思います。いじめが発覚して、いじめた側を諭したとしても、多くの場合、いじめは巧妙化(ばれないように、より陰湿になっていく)して続くものです。相手が子どもであれ、「積極的に相手を痛めつけてやろう」と悪意を抱いている人間の心を動かすことは、困難を極めます。また、立場上、一方的にいじめの加害者を批判すると、このご時世、今度はそれ自体が「教師によるいじめだ!」などと言われかねません。 したがって、どうしても穏便にことを解決しようという姿勢になってしまいがちで、問題の解決は難しくなります。ですから、いじめ問題を解決する一番の方法は、「ことを大きくして騒ぎ立てる」ことだと私は考えています。 相手の親を攻めるいじめの首謀格の子とその親を呼び出して、本人の前で親を土下座させることぐらいは、あたり前にやるべきだと思っています。いじめる子もいじめられる子も、親に心配をかけたくないんですよね。子どもが一番恐れるのはその部分、つまり、いじめをやる側の子のアキレス腱は親です。だったら、徹底的にそこを攻めて(責めて)やる。いじめという卑劣な行為をやっている我が子を見て、嘆き悲しむ親の姿を、本人に目の前で見せつけてやる。自分が人として最低のいやしい行為をしているということを、親の涙を見せて知らしめる。そういうことです。 いじめがエスカレートして暴力に及んでしまった場合などは、迷わず警察の介入を求めるべきですよ。そうやって、自分がやった行為は、反社会的な行為(=犯罪)であるということを、身をもって教えるべきだと考えています。大人の社会では犯罪。でも子どもの社会では許される。そんなおかしな話はありませんから。 万が一、いじめた側の子の親が、「たかが子どものやったことぐらいで…」などと言おうものなら、それこそ、いかなる手段を使ってでも、親ごと徹底的に追いこんでやるべきですね!私なら、合法な範囲内で、あの手この手で親ごと徹底的に追いこんでやります。 人は一度叩かれる「命」という字は、「人は一度叩かれる」と書きます。生きる限り、人は一度は必ず叩かれるものなんです。この話は、師匠から教わった受け売りなんですが、それが人の命というものの定めなんですね。でも、「谷深ければ山高し」です。つらく悲しい経験のあとには、必ず良いことが待っています。実は私自身も、いじめられた経験があります。小学校高学年の時、転校先の学校で、集団でこっぴどくやられたことがあるのですが、何度か「死んでしまいたい」と思ったものです。そのころは、朝起きるのがつらかったですね。「このまま目が覚めなければいい」と眠りにつき、「あぁ、目がさめてしまった」と思う日々。目覚めること自体が、泣きたいほどに辛いんです。 でも、今にして思えば貴重な体験をしました。プロの学習塾講師なら、子どもたちの気持ちがわからなければなりません。そのためには、自分が子どものころ、何をどう考え思い悩んでいたのかを覚えていなければなりません。ですから、とてもよい体験をしたと思っています。 自殺してはいけないよ今現在、いじめを受けてつらい思いをしている子が、もしこのNLを読んでくれたなら、伝えたいことがあります。本当にどうしようもなくつらくなったら、無理して学校に行かなくていいんだよ。人間、嫌な奴となんて付き合うことはないんだ。「強くなれ」「やられたらやり返せ」って大人が言うよね。でも、やり返す必要なんてないんだよ。人にされて嫌だったことは、自分の所で終わらせる。それは、とっても立派なことだよ。人生は常に敗者復活戦みたいなものだから、別に負けたっていいんだよ。強くなくてもいいんだよ。その優しくて傷つきやすい心に、少しずつ強さを加えていけばいいんだよ。 本当につらくなったなら、勇気を出して親に打ち明けてごらん。「親を悲しませたくない」と思うかも知れないけど、君がとてもつらくて悲しいのに黙って耐えていることの方が、親はずっとずっと悲しいんだよ。親に言いたくなければ、信頼できる大人に打ち明けてごらん。もし私を信頼してくれるならば、私に打ち明けてくれればいい。少し休んでから、最良の方法を考えよう。だから、絶対に自殺してはいけないよ。 |